コーヒーフィルターを使ってコーヒーを淹れているのですが、何度もお湯を沸かして淹れるのが面倒なので、思いきって1Lの卓上ポットを買ってそこに直接コーヒーを淹れることにしたタケコさんですよ、こんにちは。
1度で1Lのコーヒーが作れて便利です。保温ポットなので煮詰まらないし。まあ、冷めますけどね。ぬるくなっちゃいますけどね。そして、うっかりとがぶがぶ1L飲んじゃいますけどね。1日にコーヒー1Lってさすがに体に良くないかしら。
まあ、トイレの回数は思いっきり増えてます、ええ。ある意味、コーヒーを淹れに立つ面倒さと大差がないくらい。あれ? おかしいなあ。
amazonで1,680円でした。この便利さに比して大変お買い得です。おすすめ。
閑話休題。
昨日は、Twitter上のタイムラインから、なんだかんだと考えることが多い一日でしたよ。Twitteがなんのことかわかんねーってひとに説明すると、適当な短文を書いてwebにアップできるツールです。すっごい短いブログ、とでもいえばいいのか、チャットみたいなものといえばいいのか。
で。
思うに、「苦労した人」はその後ざっくり2種類に分かれるのですね。「自分が苦労したからこそ、他のひとが苦労しないようにと考えるひと」と「自分が苦労したからこそ、他のひとも同じような苦労をすべきだと考えるひと」。
例えば、戦時中に物が食べられなかった人たちは、いまの食べ物が豊かな時代を嬉しく思ってると思うんですよ。自分の子どもや孫が好きなものを食べられるのを嬉しいと感じてるんじゃないかなあ。少なくとも「俺たちの時代は食べ物がなかったんだから、お前たちも飢餓を味わえ」とはいわないと思う。
でも、現代は後者が増えているんじゃないかと思います。「わたしも学費で苦労したんだから、勉強したいならお金の苦労は当たり前」とかね(いや、こんなことをTwitter上ではいってるひとはいませんでした。念のため)。「自分が我慢してやってること・やってきたことを他人もやるべきだ」という理論。そしてその延長線上に「自己責任の行きすぎた押し付け」ってのがあるんだろうなあ、と。
わたしは、家が貧乏で大学の進学等々すごく苦労したので、いまの若者やこれからの子どもたちは、お金がなくて勉強ができない、といったことがなければいいな、と思ってます。勉学がお金持ちの特権になってしまっているこの社会は、やはり変えていくべきだと思います。
そのために「学費をタダにしろ」というのは極端な例であったとしても、一考してもいいのではないかと思いますね。つまるところ基本的な学費はすべて税金でまかなう、と。ただそうなると、学校で教えることをすべて国や自治体に左右されることになるのでこれは怖い。
別の方面から見れば、国が真剣に少子化を憂えているのであれば、「学費タダ」という政策はかなりの効果があるのではないかと考えます。まあ、私的には少子化問題は、移民を奨励すればいいだけの話だと思ってますが。
いや、学費のことをいいたいわけではなく、ここのところ世間一般が、物事を一面的にみてそれを非難して、はいそれで終わり、ってことが多くていやだなあ、と感じていたんですよね。非難するんだったら、非難するだけの判断材料を持って発言するとか、そもそも批難するに当たっては、どういった社会の仕組みがあるからそうなっているのかの背景を調べて、だったらその背景が問題なんじゃないかという俯瞰で見直してみるとか。
そういったことをふつふつと感じていたら、昨日、奨学金のデモに絡む発言がいくつかあったので、まさに感じていたことが、端的に表出した感じだったんですよね。
こういったことを議論しようとすると煙たがられるのはよくわかってはいるんですが。そもそもTwitterでそういう議論をやりたいっていうひとは少なかろうし、Twitterってのは自分が思ったことをさらっとつぶやけるというスタンスがいいんだろうし。だから、Twitterのひとたちを責めようというのでは決してなく、世間一般に対してですよ、これまた念のため。
でも、Twitter上での軽い話し合いの中で、いまの奨学金制度がどんだけ酷いものになっているかに興味を示してくれたひとがいたのは、嬉しかったです。
本当はこういったことはそれが起こったTwitterで話せれば一番いいんだろうけど、再燃させるとしつこいと思われそうだし、そもそもTwitterは短文しかアップできないし。なのでこのブログにまとめてみたわけです。はい。
私的には、Twitterはこういったいろんな意見が交わせるというのも魅力なんですが、こういう議論のふっかけとかばっかりやってたら、嫌われるんだろうなあ。フ、フフフ……。
閑話休題。
うまくはいえないけど、いまの社会って、例えば非正規雇用の人たちが大変なことになっているっていう状況をみて「じゃあ、この社会を変えていくにはどうしたらいいか考えよう」となるのではなく「非正規雇用にならないようにがんばろう」なんだよなあ、と。対処療法しか考えないで、根本から治療する気はないのですよね。枝葉末節だけ見て非難して賛同して修正してそれでおしまいというか。既得権を手放す気はない人々たちでできてる。自戒も込めてね。
この時代は生きづらいってのは、こういうときに思うんですよね。
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